神名倉山周辺の岩石信仰 Top


女 滝 (朝日村の不動社)



 磐座よりも溶岩サンプルとして有名。
荒々しく巨大な岩石に圧倒されるが、境内はそんなイメージとは逆に非常に清々しい。

 「朝日」の地名は谷川健一氏によれば明白な金属関連地名であり、「青銅の神の足跡」の中でこの朝日村とは目と鼻の先にある、長岡市越路町朝日の弥三郎婆の説話を引用している。金倉山の南側の麓を流れる「朝日川」はこの朝日村地名からの発祥であろうと思われる。「朝日川」流域には「朝日村」より遥かに大きな集落が幾つもあるが、この地域が川の名称の中核となる理由はやはりこの巨岩祭祀にあり、その起源は金属神を奉祭する集団に求められるのではないだろうか。その後稲作文化の定着とともに金属神信仰は忘れ去られたのだろう。
 また、金倉山の反対の北側の麓を流れる「太田川」の「太田地区」にも巨岩岩石信仰があり、同様に「太田」も金属関連地名として関連づけられるのは偶然の一致ではないだろう。




 

 

 



六日市村の大石

 
弘法大師の伝説が付随する石(下記参照)。六日市町の三宅神社から北へ約一キロの田んぼと山地の境界上にある。付近は弥生期には大きな沼があり、弥生〜古墳〜奈良時代の遺跡が有る。明確な祭祀が行われて来た記録は無いが、江戸時代の地図や伝承にも記載されることから、一定の宗教的意味合いが有ったのは間違いない。
 大きさも全幅が2m近い大石であり、上面が平たく「磐座」としての特徴をよく兼ね備えていると思う。また、今春詳しく観察したところ、線刻がほどこしてあるのがわかった。中世・近世の子供のいたずらかもしれないが、かなりの労力と時間が掛かるのは事実である。遊びではとても出来ない代物だと思う。

大石と弘法大師の伝説 古志郡六校会 郷教育資料 昭和11年11月
 
六日市の東北にあたる小丘の麓に大石が田んぼの中にあります。古老のお話によるとその昔弘法大師がこの地に化導にお出になり、大石の上にお休みになったとのことです。弘法大師は末世の衆上行跡を疑う事を恐れて杖と足の跡えおお残しになりました。赤坂と滝谷の間を大石と呼んでいるのはこの大石と関係があるのでしょう



 
全面 杖の跡だらけのように見える?
ちなみに足跡の様の見える部分もあるが撮りきれていない


線刻部分



十貫坊の力石(妙見町三宅神社境内)古志郡六校会 郷教育資料 昭和11年11月
 妙見に十貫坊という者がありました。敵八倍の力を授けて貰いたいと百日百夜川西の小粟田にある観音へ願参りしました。満願の日になっての帰途、自分の力を試してみようと思い大きな石を持ち帰ったという事です。その石が今神社の境内にあります。十貫坊はその後刀持ちとなり牧野氏の御六尺となりましたが、或る時仲間の物と喧嘩して妙見の若宮様の所まで逃げてきました。十貫坊、大音声張り上げて「これからは妙見の地内である。貴様等には一歩も足を踏ませない。」と頑張り柳の木を引き抜き振り回したので、さしもの仲間も一目散に逃げ失せたと言います。

 今も妙見三宅神社参道右手にある「力石」
 全国に分布する「力石」伝説の当地版。ただこの石は大きくて多の地域に多い紡錘型の石とは違い、常人がとても持ち上げられる物ではない。「力石」は磐座に分類されるかどうか微妙なところだろうが、力に神が宿るとする信仰は古くからあると思われる。



小栗山地区周辺の岩石祭祀 
 金倉山南西の中腹、小千谷市に位置する小栗山地区には多くの岩石祭祀が見られる。特に音羽の滝周辺にある巨岩群は壮観である。音羽の滝は名水としても有名で、先日も猛暑にも関わらず手が切れるような冷たい清水が豊富に湧き出ていた。
 また、音羽の滝のすぐ上に「音羽宮」と名付けられた木喰観音で有名な観音堂があるが、こちらは有名で観光コースにもなっている。音羽の滝周辺は見通しの良い南西に面しているにもかかわらず普通の人でも冷気を感じるくらい陰気が凄く祭祀にはうってつけの場所に思える。
 これだけ岩石祭祀が集中していて信仰の形跡が明白なのだから、何かしらの伝承が残っていそうな物だか研究者の興味の対象外なのかその記録はほとんど見かけない。谷川健一氏の学説のように金属神信仰と結びつく岩石祭祀は稲作文化の振興とともに忘れ去られたのではないだろうか。それを裏付けるように山古志・小千谷市東山地区には数えきれないほどの金属地名が残存しているのは事実である。

※祭祀伝説の記録をほとんど見かけないと記入しましたが、小千谷市の歴史民俗研究家「広井忠男」氏によって付近の岩石信仰が「小千谷文化」に発表されていました。(平成25年10月2日)

 
 
昼なお暗い音羽の滝周辺。漂う霊気がはんぱなく凄い。巨岩愛好者のはお勧めの場所である。
案内看板を下ると巨岩がゴロゴロ、さらに50mくらい下ると巨石の下に不動様があり清水が湧き出している。名水の名に恥じない美味しい水でした。

 


上記3枚は音羽の滝の道路を挟んで山側のすぐ上にある岩石祭祀の石祠。付近ではもっとも大きく写真では見えづらいが巨岩上に3つの石祠を持つ。小栗山地区の岩石祭祀の中心だと思われる。

 
上記2枚は音羽の滝からは少しはなれた所にあるが、至る所に巨石がごろごろしていてそのほとんどに祭祀の形跡がある。

 
音羽の滝の上にある観音堂。木喰上人の仏像が有名。音羽の滝から1kmくらい下った南西斜面にある現代の岩石祭祀である復興祈願の「みまもり岩」。当地は闘牛が有名で闘牛場の近くにある牛に模した巨岩である。また当地は中越地震の震源に近く、激しい被害を受けたが今でも山中いたるところ崩落箇所だらけである。その復興を祈願したものである。



「鎮窟」と「龍石」
 
三宅神社の社伝の御廟山大絵図に「鎮窟」と「龍石」が記載されている。「鎮窟」の方は昔から「鬼の穴」として有名で、地元でも伝承が残り畏怖の対象として語り継がれて来た。社伝では禁足地として書かれていて何らかの祭祀が有った事を伺わせる。また周辺には境沢、登滝、日石等祭祀を思わせる地名が濃密に表記されている。「岡南の郷土史」では、「郷教育資料」(古志郡六校会 昭和11年)から引用して、波多武日子命と天之美明命が最初に降臨した岩窟だと伝えている。
 詳しくは 三宅神社社伝の検証 4 を参照

 龍石付近の巨石群 

 鬼の穴付近の露岩


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